葬儀の基礎知識
プロテスタントの聖書朗読
プロテスタントの葬儀は、教会正面教壇の前に柩が安置され、参列者が着席して前奏から始まります。
順序は(1)前奏、(2)聖書朗読、(3)讃美歌(一同で合唱)、(4)聖書朗読、(5)祈祷、(6)讃美歌等と続きます。聖書朗読に用います内容は、詩編90編、コリント第一の手紙15章 50~58 節、ヨハネ黙示録 21章1~8などが多く用いられています。
経典
前奏
聖書朗読(次の中から適当に用います)
1)わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる。(ヨブ記19章25~27)
2)わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。(ヨハネ2章25.26)
3)またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた。「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。(黙示録14章13)
讃美
歌聖書朗読(次の中から適当に用います)
主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる。山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。あなたは人をちりに帰らせて言われます。
1)「人の子よ、帰れ」と。
あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえ出る青草のようです。あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。われらのすベての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。われらのよわいは70年に過ぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。
しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがって、あなたの憤りを知るでしょうか。
われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。主よみ心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか。あなたのしもべをあわれんでください。あしたに、あなたのいつくしみをもってわれらを飽き足らせ、世を終るまで喜び楽しませてください。あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった多くの年とに比べて、われらを楽しませてください。
あなたのみわざを、あなたのしもべらに、あなたの栄光を、その子らにあらわしてください。われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、われらの手のわざを、われらの上に栄えさせてください。われらの手のわざを栄えさせてください。(詩編90編1~17)
2)兄弟たちよ、わたしはこの事を言っておく、肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらせられ、わたしたちは変えられるのである。
なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。(コリント前書15章50~58)